高齢者とは? 高齢者はどう生きるべきなのか?
私たちグループメンバーは皆、介護保険法で言う(前期)高齢者の真っただ中にいます。そう、まさに「高齢者」であり、「老人」とか「年寄」と呼ばれてもおかしくないし、高齢化問題の張本人でもあるのです。「シニア」などと年齢を直接意識させない、ぼやかした呼び方をグループ名に用いてはいますが、高齢者には間違いないわけです。
ただ、後期高齢者(75歳以上)や超高齢者(90歳以上)で元気な先輩が多くいる上、自分たちはまだ現役時代の延長上にいて、老人にも年寄にも到達していないと言いたいのが本音でもあります。
「終わった人」で知られ、最近「老害の人」を出版した内館牧子さんが、次のように言っていました。「高齢者は高齢者らしく生きるのが一番」、「世代間ギャップは現実で、世代間で理解しあうことは難しい」と。部数を稼ぐために一般受けする言い方、高齢者のあるあるをネタにするのが売れっ子作家ですので、納得する読者はきっと多いのでしょう。
高齢者がどう生きるべきか、についてはほかにも同じような考え方があります。過去の成功体験やかくあるべし思考にとらわれて不機嫌にならず、だいたいこんなことで良いと諦めて明るくほがらかに生きるべきといったものです。ただ、高齢者を十把一絡げにしてこうあるべき、と押し付けるのも如何なものか、単なる偏見ではないかと思うのです。
年齢という偏見、壁は乗り越えられる
年齢について欧米では、"Age is just a number."という表現がよく使われるようです「年齢はただの数字」が直訳ですが、「年齢なんて関係ないよ」という意味です。人権を重視する欧米社会では、年齢を差別の一要因ととらえ、履歴書にも年齢の記載欄は無いのが常識ですから、こうした表現も日常的なものなのかもしれません。新卒一括採用で入社時期や先輩後輩意識が重んじられる日本社会では、やや違和感を覚える人が多いのではないでしょうか。ただ、年齢差別の議論は別として、人間の体力、知力、気力は人によって異なるのが当たり前、多様なものですから、人の行動や言動に対して「年齢は関係ない」という言い方はあり得るでしょう。若者に負けない身体能力を持つ高齢者、シニアに劣らない知識を持つ若者、等々事例を挙げることは容易です。
有名な論語では、「40になってあれこれと迷わず(不惑 ふわく)、50になって天命をわきまえ(知名 ちめい)、60になってひとの言葉がすなおに聞かれ(耳順 じじゅん)、70になると思うままにふるまって道をはずれないようになった(従心 じゅうしん)」とされ、50歳以上は例外的な期間なのです。70歳はまた、「古希(こき)」とも呼ばれ、古来より希(まれ)なことを意味する年齢です。高齢期は、社会からの退場待機期間といった響きも感じ取れます。
では昔の人の平均寿命はどれくらいだったのでしょうか? あまり古い時代については確証がないのですが、江戸時代 32歳、明治時代 44歳、戦後(1947)男50歳、女54歳、などとの記録があります。こんな例と比較するまでもないことですが、現代社会では平均寿命が格段に延びました。戦後に限っても約30年、孔子の時代からは50年以上高齢側にシフトした社会になっていると言えるでしょう。加えて、高齢者の人口比率が近年急増している点も大きな変化です。ちなみに、100歳以上の人口は2021年の厚生労働省統計で86,510人と驚くほどの多さです。「人生100年時代」という表現が違和感なく受け入れられている背景でもあります。
モノは時間の経過とともに変化します。経時変化と呼ばれ、大抵の場合性能が劣化します。人間の場合は老化です。しかし、そうした一般論は必ずしも正しくは無いことを示す研究成果があります。
米国ジェロントロジー(老年学)学会会長のジーン・D・コーエンは、「いくつになっても脳は若返る」(2006)という衝撃的なタイトルの著書の中で、脳細胞は再成長する、そして鍛えれば筋肉のように発達すると述べています。新しいことを吸収したり、やりがいのあることに挑戦したり、社会参加することなどが、あたかもフィットネス活動のように脳の健康状態を改善するというのです。実際、歳を重ねるにしたがって、成熟した思考、相対的判断、反対意見の許容などを獲得できるだけでなく、コミュニケーション力が向上する、感情をコントロールできる、論理的思考、判断の能力が向上するなど多くの効果が認められているとのことです。高齢になっても優れた作品を世に出した芸術家や思想家などの事例を数多く示し、高齢者の知性や創造性が永く維持できることを記しています。私たちシニアに勇気と意欲を与えてくれます。
人間の脳はまだまだ解明されていない部分が多いとのことなので、100%受け入れることは難しいかもしれません。しかし、年齢を重ねても様々な知的活動が可能なことは嬉しい限りです。高齢化は生きてきた期間が長いことに相当しますが、悪化とか劣化というマイナスイメージは必ずしも当たらないということです。人それぞれ、多様であること、年齢は関係ないという場合も含めると、高齢者の潜在力はもっと認められて良いと思います。私たち自身、こうした事例に鼓舞され、前向きな姿勢を維持しているところです。
世代を超えて交流し、協創を目指そう
高齢者は阻害され、社会からの退場を待つ存在との見方もある中、長寿命化の現実、年齢不問の発想とともに、いつまでもその能力を維持できるとのプラス効果の報告にも言及してきました。さて本題はこれからです。
前回のブログ(■若い皆さんへのシニアからのメッセージ)で最も伝えたかったことは、この地域に新産業/イノベーションを起こし、雇用を拡大し、平均賃金を上げ、まちを活性化させたい、ということです。税収の増大、まちづくりの明るい未来というポジティブサイクルが見えてきます。その着眼点が、スタートアップ支援であり、その担い手が意欲と希望を持った若い人たち(年齢でなく挑戦できる若さ)です。
スタートアップ創造・育成のためには、経営マインドが欠かせませんので、革新的なアイデアを生み出す若い世代と、経験豊富な企業経営者、有識者との連携が欠かせません。そうした連携の仲介や、具体的なビジネスアイデア創生では、私たちシニアも何らかの貢献が可能と思っています。
若い世代の推進力、可能性、そして奮起に期待します。ただ、そこには様々なギャップがあることは十分に理解しています。時間効率最大化(タイパ:タイム・パフォーマンス)、写真、動画、短文を主体とするSNS文化、言論離れ、等々時代の急速な変貌は認めざるを得ないことです。その上、ひろゆき氏が言うように、「99%はバイアス」、つまり思い込みで人は動きます。言っていることの理解力、想像力、共感力に格差もあります。乗り越えるべき壁は高く厚いことは間違いありません。
しかし皆さん、今の生活に満足していますか? 「みんな仲良く貧乏に暮らそう」的な沈滞したマインド、自分さえよければあえて何もしない社会風潮、そうした社会を変革しようとする意欲に乏しい規制勢力、などに共感できますか? 放置しておいてよいですか? 私たちは、こうした問いから会話を始めたいと考えています。というのも、元気ある若い人たちや前向きで改革意欲のある市民が(少数かもしれませんが)、確実に存在することを信じているからです。また近年、「ウェルビーイング(幸福)」を前面に掲げて世の中を変えていこうとの動きも盛り上がりつつあり、変革へ向けての議論を後押ししてくれそうです。
ここで強調したいことは、目指す方向性、目標は一朝一夕にはできないとしても、対面での意見交換などを通じて、必ず共有、共感できる可能性があること、そして小さな一歩でも協創によって前進できればいつか必ず目標に到達できる、ということです。まずは少人数でも会話を通じて同調、共感してもらえる方々との接触を試み、徐々に輪を広げていきたいと考えます。微力ながら一歩一歩踏み出していきたいと思っています。
このホームページには、私たちが描くアイデアやこれまでたどってきた過程を詰め込んでいます。ご興味のある所から、一部でも、流し読みでも結構ですので、一度中身に触れていただいて何らかのレスポンスいただけると大変うれしいです。
以上
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